2019年 09月 02日
ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド |
タランティーノ作品はジャッキー・ブラウンを除いた8作品、ついでにトゥルー・ロマンスとフロム・ダスク・ティル・ドーンを見ている。
この中で一つ魂の作品を挙げろと言われたらトゥルー・ロマンスになるわけで、なぜかと聞かれるとヒロインの可愛さによるところが大きいんだけど、今作はそのポイントにおいては肉薄しうる出来だった。
今作のヒロインの話はぶっちゃけ山もなくオチもなく、結構退屈なんだけど、弛緩しきった1969年の空気は祝福と福音に満ち満ちていて、なんだか他人の思い出を覗いているみたいで、ひとしきり幸せになったあと、少しきまりが悪くなってしまった。今年のベストヒロインだと思う。
肝心の話は意図してか外し気味で、緊張感を煽るだけ煽って何もなしといったシーンが多かったように感じる。これは少しがっかりではあったけど、緊張→爆発のいわゆるタランティーノ節というのはひとつのクリシェになりつつあったし仕方ないのかもしれない。
最近のタランティーノは章タイトルを出しがちなイメージがあったから、今回のノンストップ群像劇っぽい編集は少し意外だった。今回はあんまり日常描写に終始したせいかあんまりテンポ良くは感じなかったが、キッチリ分けてしまうのは忍びないゆったりとした繋がりは少しばかり新境地ってやつなのかな、と思った。
正直言ってタイトルの元ネタ、レオーネがワンス・アポン・ア・タイム・イン~と名付けた2作品に込めた狂気じみた執念とカタルシスは感じられない。その代わり、ハリウッドという場に対する愛はこれ以上無く伝わってきた。思うに、タランティーノは愛の監督なんじゃないかな。少なくとも僕が特に気に入っている2作品、トゥルー・ロマンスとキル・ビルVol.2はどちらも愛の映画だったように思う。時には世界を呪ってしまうような、世界が祝福してしまうような。そんな大きな愛が彼の映画からは感じられるから、過剰な引用みたいな臭みも、誇張したバイオレンスも受け入れられるような気がする。
少し話が飛ぶんだけど、トゥルー・ロマンスという映画の制作エピソードで一つ大好きなものがある。ビターエンド気味だったタランティーノの脚本を監督のトニー・スコット、トップガンとかの人がハッピーエンドに改変したいと言い出し、揉めに揉めたというものだ。興行を見てのプロフェッショナルとしての発言か、あるいは愛ゆえのいち個人としての発言か、それは彼亡き今はもう知る由もない。でも、CM出身の雇われ英国人監督が言っ放ったワガママが、やがてタランティーノという作家に愛という個性を芽生えさせたと考えてみると、なんだかとても救われたような気になる。
最後にラストカットの意図について少しだけ考えようと思う。ここでようやくネタバレ気味になる。
元ネタになっていると思しきワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウエスト(ウエスタン)のラスト。ヒロインが所有する土地に機関車が走り込み、カウボーイは去り、カメラは引きタイトルコール――というものは物語として、そして一時代としての終焉を描いた巧みなものであった。これに当てはめて本作のラストを考える、というのはいささか乱暴すぎる気がするけど、あんまり映画的な素養がなく、他に何も思いつかないのでとりあえず考えてみる。
まずこの場合去っていったのはもう明確で、クリフだろう。彼は一人だけ世界から浮いていて、そこが魅力的ではあるんだけど、暴力的、前時代的な人物としてハリウッドからは徐々に淘汰されていくタイプなんだと思う。そしてヒロインが所有する土地、これはポランスキー邸と考えたい。変革を迎えようとしていたハリウッドが取り入れたポーランドからの血。ここからきっと新しいハリウッドが生まれるのだという希望の土地だ。新時代の象徴、走り込む機関車は画面には存在しない。だとするとそれは不在であったポランスキーになるのかもしれないし、今はまだ眠っている新しい命のことなのかもしれない。そしてカメラは引かず、じっと静かにポランスキー邸駐車場を映している。これは架空の存在、あるいは前時代の象徴であるリックの家とポランスキー邸を分断しているのかもしれない。そして静かにタイトルコール。昔々…あるハリウッドでと締めて終わる。なんだかフィクションと現実の世界が曖昧になったような、不可思議な感覚を残し映画は終わる。こうやって考えると結構良かったな。
追記 トゥルー・ロマンスのラストについて
あれからちょっと気になって検索したらすぐ参考になるコラムがCINEMOREというサイト内で発見できた。これによると、(以下引用) また、トニー・スコットの希望で書き換えたとされているハッピーエンドも、ラスティグの依頼でタランティーノの脚本パートナーだったロジャー・エイヴァリーが書いたものだった。タランティーノはスコットにもクラレンスが死ぬ当初のエンディングを推しており、スコットは新人脚本家の意志を尊重して2バージョンのラストシーンを撮った。最終的にハッピーエンドを採用したことについて、スコットは「クラレンスとアラバマが大好きになって、どうしても殺したくなくなった」とコメントしている。(引用終わり)そうだ。
ますます複雑でなんだか魔術じみているような気がする。多量の人間が関わって切り貼りを続け、それを人々がただ見るとはなんとも奇妙な世界だ。たいていダメな方に行くのがまた愛らしいし、たまに良い方に転ぶのが不思議なんだよな。
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by unchibot
| 2019-09-02 20:41
| 映画